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「情(こころ)」を率直に述べる、或いは認識を歌に載せるというのは、それこそ「正術心緒歌」「寄物陳思歌」にさかのぼることも出来るだろうし、或いは近代短歌のそれの多くも又、認識系の歌であったことも否めない。


オクムラ短歌とは骨子の「情、気持ち」というものと、それを支える的確な技術(テクニーク)の鍛錬から成るものといおうか。そしてその、技術の多くは、遡れば彼の論述、記述散文、さらに口語の時代を経た純直な詠みぶりにいたるまで。


かくして、この時代を上手く生き残った「現代ただごと歌」と言えるのではないか。もう殊更に「ただごと」ということを止めたのも、寧ろこのような散文調、詠み下す歌というものが、多く口語の歌を中心にスタンダード化されていく、時代の潮流のなかで、オクムラの歌も、又その一つの「種」として、認知されるに至ったと、私はそうも見ている。



手洗いの柄杓無し鳴らす綱も無い赤塚諏訪神社のコロナ対策



ぬばたまの夜が明けぬれば今日もまたウィズコロナで工夫の暮らし



支払機レジに置かれて札(さつ)を入れ、釣り取って互いの手渡しはせず



野良猫の行動範囲に驚けり遙か遠くの道で彼と会う



岩手産タラの切り身をムニエルに焼けばとろけて旨しあぶら身



カニ、ナマコ万葉びとも食っていた万葉集に歌われている



丁稚小僧から成り上がり一代の富を築きし父上なりき



カタバミは昔ながらの和種がいい茶の葉に小さき黄の花咲けり



朝明けの東京の空真っ青だコロナウィルスが清めてくれた



右の目を手術されつつ目の玉は美(は)しき文様の変化(へんげ)を見てた



岡井隆うたびとなればうたびとが語り視聴し進む「しのぶ会」



両眼の手術を終えて〈セピア〉から〈撮りたて写真〉の景に変わった



二〇〇〇円の仏花を妻は捧げたり両親と兄が眠れる墓に



サンテンイチイチ良くぞ描(えが)いた朝ドラの「おかえりモネ」は十年経って



わが庭に十年ぶりに戻りたる蜘蛛の巣なれば払わずに置く



カイツブリいきなり走りつるみ飛ぶトンボの一匹を嘴(はし)に咥えつ



検索しオクムラの講座に来たと言う縁(えにし)を想う歌の縁を



一本のソーセージ挟むパンなれど味に様々な工夫を凝らす



茂吉、佐太郎とも親しみし大坂泰〈牧水・茂吉系〉と「樹林」に記す



歌よみも友が要ります〈孤と宴〉共に学び合う友が要ります



コスモスの三重の尾鷲の歌びとの仲宗角逝けり八十九で



眉墨は売れるであろう目の上の眉毛はマスクが隠さないから



ネズ公はネズミ退治の業界を作り業者等を食わせています



啄木はただ書いただけ次々と頭脳(あたま)に湧き来る秋の日の歌を



尿意とは兆(きざ)すものなり水分の補給に関わらず兆すものなり



我が師宮柊二先生体験を踏まえて叫ぶ「戦争は悪だ」



たたかいを止める方向に舵(かじ)を切れたたかいに加担してはならない



無残、残酷これ見よがしに行われ戦争とはつまりそう言うものだ