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第十八歌集。

装幀は真田幸治

 

二〇一九年後半から二〇二二年前半までの歌五九八首を収める。ここではまず、前半の部分から歌を引用しつつ、奥村短歌の現在についても、すこし触れてみたい。

 

 

この歌集を読んでみて思うのは、その「定型感」というもの。それがどの一首においても、守られている、というか。思い切った造語、造表現といったものもまた、その定型の遵守のために捧げられている。ここでいう、定型感というのは、無論「完全定型」という意味では無いことにも触れておく。

 

 

一読して、すぐに何か刺激があるといった趣であった奥村短歌はここに来て、つや消しのような魅力を放つようになっている。すっと読めるが、ちゃんと味わいがある。ここに来て、奥村の歌は初期三部作(『三齢幼虫』『鬱と空』『鴇色の足』)のころに、戻ったという節もあるだろう。だが、それは中期後期の、表現のデコレーションといったものを経て、より、軽やかなものへと変質をしている。

 

 

では、ここはさらっと、引用歌を。

 

 

玄関から共に入(はい)りし蚊が我の耳を刺したり眠ってる我の

 

 

地(ち)に三つ赤き実の落つ見上ぐるに葉群(はむら)に黄なるゴーヤが裂けて

 

 

「五十肩、奥村さんなら九十肩(くじゅうかた)」レ写真示し医師は宣(のたま)う

 

 

滝水の内(なか)垂直に登り行く大き真鯉を応挙は描(か)けり

 

 

シャガールの人等は宙(そら)を飛んでるがミュシャ描(か)く女性花に包まれ

 

 

宮柊二・英子師魚沼の空に降り聴き賜いしやわが講演を

 

 

赤く固き平の石を踏みしめて芝離宮庭園の池のべ歩く

 

 

要するに山場なんだな萬斎の演ずる蛸の墨噴く場面

 

 

『印象派物理学入門』読み継げり難解なれど子の本なれば

 

 

板橋歌話会・東武池袋教室の人等は萩原君を見知っています

 

 

萩原君が作ってくれたメール歌会今も月一の歌会は続く

 

 

道を行く幼子声を上げて言う「サクラはみんなミチにシンデル」

 

 

〈象の眼〉と妻が言いたり〈象の眼〉は疲れ切ったる時のわれの眼

 

 

デパートの食品売り場で購(あがな)いし弁当下げて屋上に来つ

 

 

会の前持参のパンを食べていた岡井さん机(き)に包みひろげて

 

 

一日中悩み苦しみ考えて何が悩みか突き止めました

 

 

マスクは不要交通費ゼロオンラインZoom歌会は化粧出来ます

 

 

諏訪の湖(うみ)の岸辺を妻と歩み来て桜モミジの旬(しゅん)に遭いたり

 

 

いきなり熊と出くわした婦人「目が違う、ヒトの目と違う」と助かって言う

 

 

昨年は壁面に向かい一〇〇球を投げていたなあ今は出来ない

 

 

技巧的表し方が好きでない真っすぐに詠むオクムラ短歌

 

 

親はどこに行ったのだろう三匹の子猫終日路地におりたり

 

 

九年前マイケル・ジャクソンにのめり込み高熱を発し入院せりき