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第二歌集。著者は「短歌人会」所属

「ロクロクの会」。

1996年「短歌人会」入会

2003年 短歌人賞受賞

2007年 第一歌集『百年の眠り』(六花書林)を刊行


装幀は真田幸治。

 

 

十年間の結実の歌集

あとがきに「この十年、自分はさほど変わらないように

思うのだが、娘の方は二歳から十二歳となり、

幼稚園から小学校と、毎年何かしらが新しくなる」

とある。

母であり妻であること、またその父母にとり娘でも

あることを生きながら、又娘を育てるということ。

その幾重もの、織りなせる波のなかで

歌はより濃密な、時間を纏うように変化している。

 

 

ふと、おもったのが、D.ウィニコットの育児についての

ことばだが「最良の母親とは、まあまあの母親である」

という名言がある。この「まあまあ」というのは

何なのか、私にも未だもってわからぬところがあるが。

時に失敗もし、自省もこめつつ、時には叱り

時には涙しながら。

 

 

この、ウィニコットの言葉以上のことばは、私には

到底おもいつかないが、まあまあというのは

親と子との「距離」というものでもある。

突き放しすぎず、時にべったりとしつつ

自ずと離れていく、そのような十年間の軌跡が

この歌集には収められている。

 

 

引用歌を。

 

 

ぽんかんはぽんかんの香を放ちつつまはだかとなり人の掌のなか

 

 

傷口のふさがりてゆく時の間に子はかなしみを言うようになる

 

 

クレヨンの鮮やかすぎる丸として子に描かれしわたしとあなた

 

 

ねこじゃらしほおずきむくげ七月に子の覚えたる植物の名よ

 

 

躊躇なく「いや」と言い切る三歳を叱ることにも疲れてしまう

 

 

「あっちいって」初めて吾子に投げられしことばいつまでも鳴りているらし

 

 

子のなかにちいさな鈴が鳴りているわたしが叱るたびに鳴りたり

 

 

4Bを使えば4Bめくことば生まれ常より筆圧強し

 

 

いちにちの記憶ぱらぱら話し終え必ず言えり「パパにはないしょ」

 

 

ガムランの響くわたしの体内をあなたは知らぬ 知らぬままいよ

 

 

まだわれの受け止められるかなしみもあるのだ夜泣きの子を抱きしめて

 

 

子の鼻が吾にそっくりと笑いしは北鎌倉の五月のひかり

 

 

春浅き付箋だらけの子の辞書がことばこぼさぬように立ちおり

 

 

全身で泣きいるひとのからだから七月の草のにおいしている

 

 

また夏は来る くるけれどこの夏のたった一度を文箱に仕舞う

 

 

ゆるみたる微熱のからだ横たえて子の弾くハノン遠く聞きいる

 

 

どこよりも熊野の海が美しい 子にくりかえしささやきている

 

 

生意気であればあるほどおもしろい十一歳が四人集いて

 

 

子の中に楠の木のあり時折は春のひかりに葉をひろげいる

 

 

あなたとはやさしい地図だ行先も帰る先もなくただそこにある